仏教は、その生み出した数多くの聖典が様々な言語に翻訳されることによりアジア各地に広まった。チベットでは8世紀後半から仏典の翻訳が開始され、9世紀はじめには『翻訳名義大集』が編纂され、訳語の統一がおこなわれた。9世紀はじめまでに主要な大乗経典と律典が、10世紀後半以降は、多数の密教経典が翻訳された。一連の翻訳作業には「原典に忠実であり、かつ、わかりやすいこと」が求められ、正統な教えを受け継ぐインド人学者との共同作業によって翻訳が進められた。訳語の統一と翻訳の正確さ--仏教を研究する上でチベット語訳仏教聖典を欠かすことのできないゆえんはそこにある。
こうして翻訳された仏典は写本の形で集成され、カンギュル(仏説の翻訳)、テンギュル(論書の翻訳)の二つに区分され伝えられていった。15世紀に入ると、それらが木版印刷されるようになり、18世紀には各地で様々な種類の木版本が刊行された。その一つが北京版チベット大蔵経である。その名のとおり北京版チベット大蔵経は、清朝の時代、北京で印刷刊行されたカンギュル・テンギュルすなわちチベット語訳仏典の集大成である。複数回刊行されたが、大谷大学は1717-20(康煕56-59)年に刊行されたカンギュル、1724(雍正2)年に刊行されたテンギュルを所蔵している。このように、北京版をカンギュル・テンギュル共にほぼ完全な形で所蔵している所は世界でも少ない。
この北京版は能海寛(1896-1901)とともに日本人として初めてチベット入りを果たし、のち大谷大学で教授をつとめた寺本婉雅(1872-1940)によって、1900年にもたらされたものである。これは日本にもたらされた初めてのチベット大蔵経であり、仏教研究にとって貴重な資料となっている。
フランス留学から帰国して大谷大学の教授となっていた山口益(1895-1976)は、図書館に安置されていたその偉観に心かきたてられ、インド大乗仏教研究におけるチベット語文献の重要性を説き、梵・蔵・漢の諸文献に基づく研究方法を提唱した。彼の監修のもと北京版は1955-61年に、鈴木学術財団からその影印版がされ、世界の研究者たちをおおいに裨益した。しかし、現在の水準から見れば未熟な撮影技術・印刷技術によるこの影印版には不鮮明な箇所もあり、新たに何らかの形で公開されることが期待された。
大谷大学では2010年に科学研究補助費(研究成果公開促進費)を受け、北京版チベット大蔵経のデジタル画像化を推進した。その成果が当データベースである。今回はテンギュルのうち中観部および唯識部の画像データを公開する。
チベット大蔵経にはデルゲ版やナルタン版など幾つかの異なった編集の版がある。今回のこのデータを利用することにより、より厳密な形でそれらを北京版と比較することが可能となるであろう。