歎異抄とは
歎異抄とは 歎異抄の写本について 歎異抄の版本について


歎異抄の写本について  

 『歎異抄』は現在原本が伝えられていない。現存する写本の中で最も古いのは、西本願寺が所蔵する蓮如写本(重要文化財)であり、その後の写本は蓮如本が基礎となって、巻尾の流罪記録の有無により二系統に大別されると一般的に理解されている。
 大谷大学は室町時代の写本を二部所蔵しており、二部とも巻首に「端坊藏」の藏書印が押されている。うち一本には流罪記録があり、基本的には蓮如本の系統に属すると考えられている。その第33紙の折り目(糊付け部分)には「永正十六ウノトシ十二月十二日」と見えることから、1519年の写本であることが知られ、永正本と呼ばれている。
 一方、別本と呼ばれる一本には流罪記録がなく、室町末期の写本と推測されている。特に注意されるのは、墨書を抹消して書き直している箇所が多く見られることである。
 また、大谷大学は恵空(1644-1721)が筆写した一本も所蔵している。流罪記録があり、蓮如本の系統で、元禄4年(1691)恵空48才以後の写本と推測されている。恵空は大谷派初代講師であり、大谷派学寮の教学傾向を知りうる資料として貴重である。
 これらの写本のうち、蓮如本・永正本・恵空本の本文には、漢字のほとんどに振り仮名がないのに対し、端坊別本にはほとんどに振り仮名のあることが注目される。

※端坊(はしのぼう)とは、もと京都にあった佛光寺派の寺院で、佛光寺十四世経豪(1451-92)に率いられて本願寺蓮如に帰属した六坊の一つである。


■ 粘葉装(でっちょうそう)について

 西本願寺所蔵で重要文化財に指定されている蓮如上人筆写本は、現在、巻子本になっているが、もと半葉六行の袋綴じであったものを江戸時代中期に今日のように改装されたと考えられている。 一方、大谷大学所蔵の端坊本二部、恵空写本ともに粘葉装に仕立てられている。 粘葉装とは、古来の本の綴じ方の一種で、料紙を一枚ずつ表を内側に二つ折りにし、折り目の外側に上から下まで3ミリ〜10ミリぐらいの幅で糊をつけて貼り合わせ重ね揃えた装訂である。表紙は前後を一枚で包み、背の部分を糊付けにしたものや、背のみ別の紙(または布や絹)で糊付けにし、前後の外側に一枚ずつ表紙をつけたものなどがある。 また、料紙の内側の片面のみ書写したものと、料紙の表と裏の両面に書写したものとがあるが、日本では両面書写が一般的であり、そのためにやや厚手の料紙が用いられることが多い。 この綴じ方は日本では、平安朝以来最も多く用いられた方法である。この装訂の資料の数え方は、帖・冊の二通りがある。 今回公開する『歎異抄』の端坊本二部、恵空写本ともに料紙の両面に書写され、背は別紙により仕立てられている。