歎異抄とは
歎異抄とは 歎異抄の写本について 歎異抄の版本について


歎異抄の版本について

 歎異抄の印刷は、寛文2年(1662)頃に、本文に圓智が注釈を加え『歎異抄私記』として東本願寺寺内の書林により刊行されたのが最初である。
 本文だけの出版は、元禄4年(1691)に京都の八尾市兵衛の開版に始まる。「元禄四辛未載仲春吉旦 洛陽」の刊記を持つが、初印本は伝存せず、現存するものはいずれも後刷りである。また、刊記の無いものも見られる。
 次いで、本文の上欄に注釈のある首書本が出版された。読書人口の増加にともなって考え出された画期的な注釈形式で、寛文・延宝(1661-81)頃から特に流行しはじめた。これにも「元禄十四年三月吉日」の刊記のあるものと、無刊記本とがある。この元禄14年版は広く流布したものの、やや脱字が多い。
 その後、西本願寺は親鸞聖人の五百回遠忌の記念事業として、明和2年(1765)頃に、真宗本願寺歴代およびその他の師が著した和文の聖教39部67卷を収めた『和語真宗法要』を出版した。歎異抄も収録され、巻末に校異が付けられている。江戸時代における最善のテキストで、元禄四年版を底本とし、他本を参考にして編纂した校定本である。
 一方、東本願寺も宗祖親鸞の五百五十回忌を期して、文化8年(1811)頃に、真宗に関する和語聖教39部を収めた『真宗仮名聖教』を出版した。歎異抄も収録されたが、『法要』本と異なり、校異を行間に記している。元禄4年版を底本とし、『法要』本と校合している。『仮名聖教』には13冊本、10冊本のほかに、小型の丹表紙10冊本などがある。中では13冊本が最も早い刊行である。
 なお、『歎異抄』は『歎異鈔』とされているものもある。

※版本   筆写された写本に対して、木版などにより印刷出版された書物を言う。
※開版   木版に文字を彫り版木を作成し印刷出版すること。
※初印本  版木を用いて最初に印刷したものを初印本と言う。これに対し年月が経過した後印刷されたものを後刷りと言い、文字の摩滅や欠けなどにより見分けられる。
※刊記   発行年月や出版者などを記した表記。

 

『歎異抄私記』 圓智撰 洛東東七条寺内開版刊記本  3冊
     


『歎異抄』 元禄4年刊記本  1冊
 


『首書 歎異抄』 元禄14年刊記本  2冊
 


『歎異抄』 和語真宗法要所収本  1冊
 


『歎異抄』 真宗仮名聖教所収本  1冊