研究目的

大谷大学は北京版チベット大蔵経や貴重な蔵外文献などをはじめとする多数のチベット語文献、タイ王室寄贈の多数のパーリ語貝葉写本を所蔵している。これらは、本学はもとより国内外のチベット研究やパーリ仏教研究のための重要な資料となっている。本研究は、これら本学所蔵の重要な文献資料を

 (1)専門の研究者が十分に活用できるよう整理し、データベース化すること

 (2)重要・貴重と思われるものについては電子テキスト化・デジタル画像化して公開することを目的としている。

 

1 チベット語文献の電子テキスト化・デジタル化

 この研究ではまず、昨年度電子テキスト化の完了した以下の文献を研究班のホームページ上に公開した。

ニマ・タンパ=シェーラプ・ジンパ(Nyi ma thang pa Shes rab sbyin pa)『中観学説決択集』(蔵外No. 13949〜13954)

 また、本学所蔵チベット語文献のうち、以下の文献のテキスト公開・出版に向けた作業をおこなった。

『プラサンナパダー注(dBu ma tshig gsal ba’i ṭi ka bshad sbyar snying po)』(蔵外No. 13964)

 本文献は、シャクリンパ(shag rings pa /shag rin pa)という人物によって著された、『プラサンナパダー』(7世紀インドの中観派論師であるチャンドラキールティによる『中論』の注釈書)の第1章に対する注釈であり、大谷大学図書館にのみ所蔵されている稀覯書である。30葉からなるその写本は、古い書体で筆写されており、タテ12×ヨコ60と横の長さが比較的長く、1ページに10行を書くという12〜14世紀ごろの古い写本に見られる特色を有しており、写本としても極めて貴重なものである。

 本年度は、すでに入力済みであったテキストの校訂作業を、チベット仏教ゲルク派の最高学位であるゲシェー・ララムパの称号を得ており、本研究班がアルバイトをお願いしているThupten Gawa氏(松下賀和氏)に依頼した。その結果、本写本で用いられている綴り字には、現行のチベット語に見られないものが数多く用いられていることがわかり、これらを整理した。

 また、著者シャクリンパについて調査した結果、彼の事績について詳細な情報を得ることができなかったが、近年刊行された「カダム全集」第28巻に、シャクリンパによる『中論』に対する注釈(dBu ma rtsa ba’i ṭi ka rnam dpyad snying po)が収められていることがわかった。この文献に見られる注釈方法は、『プラサンナパダー注』と同じく、注釈対象となるテキストを逐次引きながら、そこに解説を加えるというものである。そもそも『プラサンナパダー』は『中論』に対する注釈である。この「カダム全集」第28巻に収められている『中論』に対する注釈書を『プラサンナパダー注』と合わせて読むことにより、著者シャクリンパの中観理解が明らかになるばかりでなく、『中論』に対する我々の内容理解も一層深まるものと判断し、将来『プラサンナパダー注』公開の際にはこの『中論』に対する注釈書のテキストも合わせて公開することとし、そのテキスト入力も開始した。

 今年度より『プトン仏教史』の講読を開始した。『プトン仏教史』はチベット仏教における最も重要な文献のひとつでありながら、現在までに邦訳が作成されていないため、将来的な訳注研究の公開を視野に入れ、まずは準備的段階として、研究員の三宅と上野とで講読を開始した。

 また、研究成果の発表として、6月19日〜25日の日程でノルウェー王国ベルゲン市にあるベルゲン大学で開催された第14回国際チベット学会において、三宅が「sKyang sprul nam mkha’ rgyal mtshan (1770–1832)gyis a mdo shar khog la bzhag pa’i mdzad rjes skor la dpyad pa(チャントゥル=ナムカ・ジェルツェンのアムド・シャルコクにおける業績)」と題する研究発表を、8月2日〜4日の日程で、中国・北京にある中国蔵学研究中心で開催された第6回北京国際チベット学セミナーでは、ツルティム・ケサン(白館戒雲)嘱託研究員が「古代史」の分科会にて「Gong ma lha btsan po srong btsan sgam po dang nang chos(ソンツェンガムポと仏教)」と題する研究発表をそれぞれ行った。

 

2 モンゴル国立大学との共同研究

真宗総合研究所とモンゴル国立大学総合科学部との学術交流協定に基づく共同研究活動は、今年度は第Ⅱ期の初年度となり、第Ⅰ期3年の積み重ねを踏まえて、さらにそれを深化・展開させることを目標とした。

 

1) モンゴル国立大学所属の研究者招聘(2016年5月・6月)

今年度も、第Ⅰ期同様に交流活動を行う目的で、モンゴル国立大学より、U.エルデネバト先生とM.ガントヤー先生(仏教学)のお二方を本学にお招きして、共同研究を実施した。その際には、国内の研究者も併せてお招きして、それぞれ下記の日程で公開講演会を開催した。

①公開講演会開催の日時と場所

・U.エルデネバト先生招聘に伴う公開講演会

   2016(平成28)年5月17日 午後4時半~6時

   大谷大学響流館三階・マルチメディア演習室

・M.ガントヤー先生招聘に伴う公開講演会

   2016(平成28)年6月29日 午後2時~5時

   大谷大学響流館三階・マルチメディア演習室

②講演テーマ・通訳者等

・U.エルデネバト氏(モンゴル国立大学総合科学部社会科学系人類・考古学科教授)

「モンゴル国における近年の考古学的発掘とその成果」

通訳:松川節(真宗総合研究所長)

・M. ガントヤー氏(モンゴル国立大学総合科学部人文科学系哲学・宗教学科教授)

「ヴァスバンドゥとバリ・ラマ・ダムツァグドルジの世間についてのアビダルマの注釈の比較―『阿毘達磨倶舎論』の第三章に当たる「世間品」(せけんぼん)に対する、著者ヴァスバンドゥ自身の注釈内容と、バリ・ラマ・ダムツァグドルジによる「世間品」の注釈内容との比較―」

通訳:ボルマー(本学大学院博士後期課程2 回生・西蔵文献研究班補助員)

 

2) モンゴル国内仏教遺跡に関する共同調査(2016年9月)

 今年度は、モンゴル国ウブルハンガイ県ハラホリン郊外にある仏塔遺跡について表面計測調査を実施した。当該遺跡は板石を多く敷き詰めた特異かつ複雑な構造となっているため、三次元レーザー測量機材を用いた手法での計測を実施することとし、この計測機器の取扱とデータ処理に通暁した山口欧志氏(奈良文化財研究所PD・後期より当研究班嘱託研究員)を2016年9月19~28日の期間において派遣し、モンゴル国立大学側と共同で現地調査と計測作業を実施した。現在は、その成果データを整理中である。

 

3 パーリ語貝葉写本のデジタル化

大谷大学には、今から百年余り前のタイ王室寄贈を機縁としたパーリ語貝葉写本(〈大谷貝葉〉と略称)が所蔵されている。その所蔵数は国内最大級であり、内外に誇る一大コレクションである。本研究班では、今までに稀覯文献と判明しているものを中心にデジタル画像データ化の作業を進めてきた。それと同時に、タイ国において現地調査も実施しながら、大谷貝葉における稀覯文献の抽出作業を行っている。本年度は、以下の作業を実施した。

 

  1. 大谷貝葉の中の稀覯文献を抽出するため、大谷貝葉に関係が深いタイ中部地域の王室寺院が所蔵する未整理の写本所在リストを入手し、これらの所在リストの整理作業を行った。これらのリストに見られる写本の文献名と本学所蔵写本との比較を通し、稀覯本の抽出作業を進めた。

 

  1. 昨年度から継続している上記1の作業で確認できた稀覯文献の一部について、タイ国寺院に所蔵されている関連資料との詳細な比較・検討作業を行うための現地調査を9月7日から15日まで実施した(調査者:清水洋平・舟橋智哉(ともに当研究班嘱託研究員))。

 

3.昨年度3月17日に実施した公開ワークショップ(テーマ「大谷大学所蔵タイ王室寄贈パーリ語貝葉写本の世界」)での成果の一部を取りまとめ、6月4日に愛知学院大学で開催された第30回パーリ学仏教文化学会で発表した(発表者:清水洋平、発表題目「大谷大学が所蔵するタイ王室寄贈パーリ語貝葉写本の来歴について」)。

 

  1. 1995年に編纂された『大谷大学図書館所蔵貝葉写本目録』(大谷大学図書館編)では、大谷貝葉に関する基本事項が採録されているが、写本各套の外観写真は収録されておらず、写本の本体に付随する挟み板や包み布に関しての情報も採録されていない。よって、12月15日から16日にかけて、布等の分野の専門家(佐藤留実=五島美術館、原田あゆみ=九州国立博物館)にも協力を仰ぎ、共同で写本と包み布の調査・研究を行った。今回は64点中、16点の調査を行うことができた。

 

5.昨年度に実施した上記の公開ワークショップを機縁として、大谷貝葉から分けられた可能性のある同類写本が東洋文庫に所蔵されていたことが判明した。よって、3月22日から23日に嘱託研究員(清水洋平・舟橋智哉)を派遣し、その関係性を明らかにするための調査を実施する予定である。

 

・尚、次年度に九州国立博物館と東京国立博物館で開催される日・タイ修好130周年記念特別展に大谷貝葉(4点)とその包み布(4点)が展示されることとなった。

 

4 寺本婉雅関連借用資料の整理

 2007年より村岡家(滋賀県竜王町)および宗林寺(富山県南砺市城端)より借用し研究と整理をすすめている寺本婉雅(1872-1940)関係資料については、借用から長い歳月が経っているため、資料全体に対する総合的な研究をとりまとめ、昨年度所蔵者に資料返却した。今年度はまず、村岡家・宗林寺両資料に対する総合的な評価レポートを取りまとめた。これは近く刊行される研究所紀要に掲載される予定である。

 寺本婉雅関連の資料としては、村岡家・宗林寺以外にも、寺本婉雅の孫にあたる寺本正氏が多数を所蔵していることがわかっている。このような大量の資料の発現という状況によって、寺本婉雅の研究は新たな段階への進展を迫られている。そこで今年度は、当研究班にとどまらず学内外の研究者にも声をかけ、今後の研究方向についての打ち合わせを行った。その中で、寺本に関する研究は①大陸における人脈、②日本におけるチベット研究の先駆者としてその研究成果の再評価、③その思想の近代真宗教学における位置づけの3方面からの研究が行われるべきであろうとの意見一致をみた。

 宗林寺からは、返却した資料のうち『モンゴル仏教史』を再借用した。この文献は管見の及ぶ限り、世界で唯一の稀覯書であり、将来の刊行を視野に入れ、研究を進めている。その成果として、2016年11月26日に開催された日本モンゴル学会2016年度秋季大会において「寺本婉雅旧蔵のモンゴル仏教史について」と題する研究発表を行った。