研究目的

 大谷大学は北京版チベット大蔵経や貴重な蔵外文献などをはじめとする多数のチベット語文献を所蔵している。これらは、本学はもとより国内外のチベット研究のための重要な資料となっている。本研究は、これら本学所蔵の重要な文献資料を

 (1)専門の研究者が十分に活用できるよう整理し、データベース化すること

 (2)重要・貴重と思われるものについては電子テキスト化・デジタル画像化して公開することを目的としている。

 また、海外の研究機関との交流を通し、それら研究機関に所蔵されている貴重なチベット語の各写本・経典類や学術資源等の調査研究に取り組み、本学所蔵の各種資料との比較研究のための研究資源を形成することを目指す。

 

1 チベット語文献の電子テキスト化・画像デジタル化とその公開

 この研究では、本学所蔵チベット語文献のうち、以下の文献のテキスト公開・出版に向けた作業をおこなった。

『プラサンナパダー注・本釈合壁心髄(dBu ma tshig gsal ba’i ṭi ka bshad sbyar snying po)』(蔵外No. 13964)

 本文献は、シャクリンパ(shag rings pa /shag rin pa)という人物によって、カダム派の古刹であるタンポチェ(Thang po che, 1017年創建)にて著された、『プラサンナパダー』(7世紀インドの中観帰謬論証派の論師であるチャンドラキールティによる『中論』の注釈書)の第1章に対する注釈であり、大谷大学図書館にのみ所蔵されている稀覯書である。30葉からなるその写本は、古い書体で筆写されており、タテ12×ヨコ60と横の長さが比較的長く、1ページに10行を書くという12〜14世紀ごろの古い写本に見られる特色を有しており、写本としても極めて貴重なものである。

 中観学派、とりわけ中観帰謬論証派の思想を最高のものとするチベットにおいて、チャンドラキールティによる『プラサンナパダー』に対する注釈は数多く著された。しかし、この『プラサンナパダー注・本釈合壁心髄』のように、注釈対象となる『プラサンナパダー』の本文をそのまま全て引用しつつ、そこに、注釈を組み合わせるという「本釈合壁」というスタイルで注釈を施したものは、管見の及ぶ限りこの文献以外に存在しない。その意味でもこの文献は、貴重なものと言える。

 著者のシャクリンパについては、関連する史料がないため、その事績に関する詳細な情報を得ることができない。ただ、近年刊行された「カダム全集」第28巻に、このシャクリンパによる『中論』に対する注釈『中論注・観察心髄(dBu ma rtsa ba’i īkka rnam dpyad snying po)』が収録されており、これと本文献とを合わせて読むと、おおよそシャクリンパの年代が推測される。すなわち、『中論』に対する注釈と『プラサンナパダー注・本釈合壁心髄』には、経と、ナーガールジュナやチャンドラキールティらインドの学者たちによって著された論書が引用されるだけで、チベットの学者たちによる著作は、論拠として全く引用されていない。このことから、シャクリンパが、11世紀にパツァプ=ニマタク(sPa tshab Nyi ma grags)により『プラサンナパダー』がチベット語に翻訳されて以降、チベットの学者たちが本格的にこの論書に対する注釈を著作し始める以前、すなわち12世紀の人物であることがわかる。

 本年度この貴重な文献を、影印を付して刊行すべく作業を行った。入力・校訂済みのテキストを、より読みやすくするために、テキストで示されている科文に基づき、見出しをつけた。また、引用されている『プラサンナパダー』の本文については、アンダーラインを付した。これらの作業は、チベット仏教ゲルク派の最高学位であるゲシェー・ララムパの称号を得ているThupten Gawa Matshushita氏(松下賀和氏)が、三宅と相談しながら行った。

 この作業の過程で、シャクリンパが引用する『プラサンナパダー』のテキストは、現行のチベット大蔵経テンギュル(論部)に収録されるテキストと使用されている語句が一部異なっていることがわかった。一例を挙げるならば、現行のチベット大蔵経テンギュル(論部)に収録される『プラサンナパダー』で「’jig rten」となっている箇所を、シャクリンパは「lō ka」としている。また、「thal ’gyur」を「sun ’byin」、「gtan tshigs」を「rtags」としている。興味ぶかいことに、「’jig rten」も「lō ka」も共に「世間」を意味する言葉で、「thal ’gyur」も「sun ’byin」も共に「帰謬論証」を、「gtan tshigs」も「rtags」も「理由」を意味する言葉である。したがって、使用される語句は異なっているものの、意味の上では変わりがない。ではなぜこのようにシャクリンパが引用する『プラサンナパダー』のテキストに、現行のチベット大蔵経テンギュル(論部)に収録される『プラサンナパダー』とは異なる語句が使われているのであろうか。これは今後の検討課題であるが、敢えて推測を述べるならば、これらは、シャクリンパの時代、すなわち、12世紀ごろの、『プラサンナパダー』のテキストの状態を示しているのではないのではないかと考えられる。

 以上、シャクリンパ『プラサンナパダー注・本釈合壁心髄』の刊行に向けた作業は終了し、原稿を印刷所に入稿、今年度中の発行に向けた最終的な作業が進行している。

 今年度はまた、宗林寺(富山県南砺市城端)に所蔵されている寺本婉雅旧蔵チベット語版『モンゴル仏教史』の刊行に向けた基礎的研究作業も行った。本文献は、世界中でこの宗林寺所蔵のものしか確認されていない、極めて貴重な文献である。この研究では、クンザンチジョン研究補助員が、テキストの入力を行った。また、その書名・著者名・著作年代が一致することから、本文献のモンゴル語版であるといえる『エルデニィン・エリヘ(Erdeni-yin Erike)』のローマ字転写作業をボルマー研究補助員と伴真一朗嘱託研究員が分担して行った。こうして入力されたチベット語及びモンゴル語テキストの対照作業が、松川節研究員の指導のもとに行われた。

 また『プトン仏教史』の邦訳研究を上野牧生研究員が、「ミラレーパ伝」に関する研究を渡邊嘱託研究員が行い、それぞれの研究成果を『真宗総合研究所研究紀要』第35号に投稿しその掲載が決定した。

 

2 モンゴル国立大学との共同研究

 真宗総合研究所とモンゴル国立大学総合科学部との学術交流協定に基づく共同研究活動は、「モンゴルにおける仏教の後期発展期(13〜17世紀)の仏教寺院の考古学・歴史学・宗教学的研究」のテーマのもと、第Ⅱ期の2年目に入った。今年度は、これまでの成果の積み重ねを踏まえ、さらにそれを深化・展開させるために以下のような研究を行った。

 

1) モンゴル国立大学所属の研究者招聘(2017年6月18日〜6月25日)

 今年度は、モンゴル国立大学総合科学部のP. デルゲルジャルガル副学部長を本学に招聘し、共同研究を実施した。招聘期間中の6月23日(金)には、氏を講師として迎え、国内の研究者もお招きし、16:30より慶聞館407教室にて「匈奴の宗教信仰:仏教の伝播」の講題のもと公開講演会を開催した。

 

2) モンゴル国内仏教遺跡に関する共同調査(2017年8月19日~8月30日)

 今年度は、「ゴビアルタイ県に建立された黄教伝播初期の寺院・考古遺物に関する野外調査」を2017年8月19日~8月30日に実施した。真宗総合研究所からは松川節研究員が参加、モンゴル側は、M. ガントヤー(哲学宗教学科教授),S. デムベレル(同学科講師),Lh. テルビシ(モンゴル国立大学名誉教授;専門は暦算学)の3名が参加した。

 今回の調査では、アルタイ市南郊のハンタイシル山中にある2つの寺院址(ザサグトハン寺院とその別院)や、タイシル郡の中心から東に20キロ離れたところに位置するナロワンチン寺院址、ジャルガラン郡のアリィン・フレー寺院址、トンヒル郡中心のオサン・ズイル寺院、ダルビ郡ダルビ山中にある2カ所の寺院址などを調査した。また、ジャルガラン郡南郊の岩山にあるモンゴル文字銘文に対する調査も行った。ウランバートルから調査地となったゴビアルタイ県の中心であるアルタイ市までは1,056キロあり、今回の調査における全走行距離は3,000キロにまで達した。

 今回の調査においては、参加したテルビシ名誉教授とガントヤー教授がともに調査地となったゴビアルタイ県の出身であったため、地元関係者・関係機関から、調査にあたって数々の便宜を受けることができた。今回調査を行なった寺院が黄教伝播初期のものであるかどうかについては、今後さらにチベット語・モンゴル語の文献資料を博捜しながら、考古学的視点からの検討も行う必要があると考える。

 

3) 寺本婉雅関連資料の研究

 2007年より村岡家(滋賀県竜王町)および宗林寺(富山県南砺市城端)より借用し研究と整理をすすめていた寺本婉雅(1872-1940)関係資料については、その整理を終え、2015年度に一旦所蔵者に返却した。寺本婉雅は、本学チベット研究の祖といえる人物であり、関連資料を返却した後も、本学のチベット研究関係者が彼に対する研究を今後も継続して進める必要があると考える。今年度は、そうした今後の研究方針策定に向け、6月10〜6月11の日程で高本康子嘱託研究員を招聘し、研究打ち合わせと情報交換を実施した。また、寺本婉雅に関連する資料として、その孫にあたる寺本正氏が所蔵する多数の資料が存在する(寺本家資料)。クンブム寺滞在時期の研究ノートや、晩年の日記(『黙動日記』)など貴重な資料が含まれるこの資料群は現在、高本康子嘱託研究員のもとに委託されている。これらを今後の研究資源とするために、3月5日から3月7日の日程で、三宅が高本嘱託研究員のもと(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)に出張し、資料の写真撮影などを行った。また3月9日には高本嘱託研究員を招聘し研究会を開催する予定である。

 

4.海外の研究者・研究機関との交流

 中国におけるチベット学の中心拠点である中国蔵学研究中心との研究交流については、中国蔵学研究中心側から提案された「中国チベット学研究センターと日本大谷大学の共同研究の展開及び、研究成果の共同出版に関する総協定書」の内容検討を行った。また、3月26日〜3月28日の日程で、上野研究員と三宅が北京に出張し、中国蔵学研究中心の関係者と意見交換を行うとともに、北京におけるチベット研究の情報収集・資料収集を行う予定である。

 海外のチベット学研究者らを招いての公開研究会の開催については、3月に中国四川省にあるラルンガル僧院のケンポ・ソタルジ師が来日するのに合わせ、師を招き、『観無量寿経』のチベット語訳をテーマに公開研究会ないし公開講演会を開催する予定であったが、残念ながら師の来日がキャンセルとなり、実施することができなかった。