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端坊旧蔵 永正本 蓮如本(西本願寺蔵)


端坊旧蔵 永正本
■序
■第一条
■第二条
■第三条
■第四条
■第五条
■第六条
■第七条
■第八条
■第九条
■第十条
■第十一条
■第十二条
■第十三条
■第十四条
■第十五条
■第十六条
■第十七条
■第十八条
■結語
■流罪記録
■奥書

一 一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしといふこと。 この条は、十悪五逆の罪人、日ごろ念仏をまうさずして、命終のとき、はじめて善知識のをしへにて、一念まうせば八十億劫のつみを滅し、十念まうせば十八十億劫の重罪を滅して往生すといへり。これは、十悪五逆の軽重をしらせんがために、一念・十念といへるか、滅罪の利益なり。いまだわれらが信ずるところにをよばず。そのゆへは、弥陀の光明にてらされまいらするゆへに、一念発起するとき、金剛の信心をたまはりぬれば、すでに定聚のくらゐにおさめしめたまひて、命終すればもろもろの煩悩悪障を転じて、無生忍をさとらしめたまふなり。この悲願ましまさずば、かかるあさましき罪人、いかでか生死を解脱すべきとおもひて、一生のあひだまうすところの念仏は、みなことごとく如来大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべきなり。念仏まうさんごとに、つみをほろぼさんと[*1]信ぜば、すでに、われとつみをけして、往生せんとはげむにてこそさふらふなれ。もししからば、一生のあひだ、おもひとおもふこと、みな生死のきづなにあらざることなければ、いのちつきんまで念仏退転せずして往生すべし。ただし、業報かぎりあることなれば、いかなる不思議のことにもあひ、また、[*2]病悩、苦痛をせめて、正念に住せずしてをはらん。念仏まうすことかたし。そのあひだの[*3]つみは、いかがして滅すべきや。つみきえざれば、往生はかなふべからざるか。摂取不捨の願をたのみたてまつらば、いかなる不思議ありて、[*4]悪業をおかし、念仏まうさずしてをはるとも、すみやかに往生をとぐべし。また、念仏のまうされんも、ただいまさとりをひらかんずる期のちかづくにしたがひても、いよいよ弥陀をたのみ、御恩を報じたてまつるにてこそさふらはめ。つみを滅せんとおもはんは、自力のこころにして、臨終正念といのるひとの本意なれば、他力の信心なきにてさふらふなり。
【校訂】

*1
「信ぜば」=蓮如本「信ぜんは」
*2
「病悩・苦痛をせめて」=底本、別本、蓮如本ともに「病悩苦痛をせめて」とするが、『真宗聖典』は、「龍谷大学蔵本」、『真宗法要本』により「病悩苦痛せめて」と改める。今、試みに「病悩、苦痛をせめて、」とした。
*3
「つみは」=蓮如本「つみをば」
*4
「悪業」=蓮如本「罪業」
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