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端坊旧蔵 永正本 蓮如本(西本願寺蔵)


端坊旧蔵 永正本
■序
■第一条
■第二条
■第三条
■第四条
■第五条
■第六条
■第七条
■第八条
■第九条
■第十条
■第十一条
■第十二条
■第十三条
■第十四条
■第十五条
■第十六条
■第十七条
■第十八条
■結語
■流罪記録
■奥書

右条々は、みなもて信心のことなるより[*1]をこりさふらふか。故聖人の御ものがたりに、法然聖人の御とき、御弟子そのかず[*2]おほかりけるなかに、おなじく御信心のひともすくなくおはしけるにこそ、親[*3]、御同朋の御なかにして、御相論のことさふらひけり。そのゆへは、「善信が信心も、聖人の御信心もひとつなり」と、おほせのさふらひければ、[*4]誓観房、念仏房なんどまうす御同朋達、もてのほかにあらそひたまひて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、ひとつにはあるべきぞ」とさふらひければ、「聖人の御智慧才覚ひろくおはしますに、一《ひとつ》ならんとまうさばこそ、ひがごとならめ。往生の信心にをいては、またくことなることなし。ただひとつなり」と御返答ありけれども、なを、「いかでかその義あらん」といふ疑難ありければ、[*5]ずるところ、聖人の御まへにて自他の是非をさだむべきにて、この子細をまうしあげければ、法然聖人のおほせには、「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり。善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。されば、ただひとつなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまいらんずる浄土へは、よもまひらせたまひさふらはじ」とおほせさふらひしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、親[*6]の御信心にひとつならぬ御こともさふらふらんとおぼえさふらふ。いづれもいづれもくりごとにてさふらへども、かきつけさふらふなり。
露命わづかに[*7]《こ》《さう》の[*8]にかかりてさふらふほどにこそ、あひともなはしめたまふ[*9]ひとびと、御不審をもうけたまはり、聖人のおほせのさふらひしをもむきをもまうしきかせまいらせさふらへども、閉眼ののちは、さこそしどけなきことどもにてさふらはんずらめと、なげき存じさふらひて、かくのごとくの義ども、おほせられあひさふらふひとびとにも、いひまよはされなんどせらるることのさふらはんときは、故聖人の御こころにあひかなひて[*10]もちゐさふらふ御聖教どもを、よくよく御らんさふらふべし。おほよそ聖教には、真実権仮、ともにあひまじはりさふらふなり。権をすてて実をとり、仮をさしをきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意にてさふらへ。かまへてかまへて聖教をみ、みだらせたまふまじくさふらふ。大切の証文ども、少々ぬきいでまいらせさふらふて、[*11]やすにして、この書にそへまいらせてさふらふなり。
聖人のつねのおほせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば[*12]そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐さふらひしことを、いままた案ずるに、善導の「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしづみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」といふ金《きむ》言《げん》に、すこしもたがはせおはしまさず。されば、かたじけなく、わが御身にひきかけて、われらが、身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきことをもしらずしてまよへるを、おもひしらせんがためにてさふらひけり。まことに如来の御恩といふことをばさたなくして、われもひとも、よしあしといふことをのみまうしあへり。
聖人のおほせには、「善悪のふたつ、総じてもて存知せざるなり。そのゆへは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとをしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもて、そらごと、[*13]たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」とこそ、おほせはさふらひしか。まことに、われもひとも、そらごとをのみまうしあひさふらふなかに、ひとついたましきことのさふらふなり。そのゆへは、念仏まうすについて、信心のをもむきをも、たがひに問答し、ひとにもいひきかするとき、ひとのくちをふさぎ、相論[*14][*15]たたかひかたんがために、またくおほせにてなきことをも、おせとのみまうすこと、あさましく、なげき存じさふらふなり。このむねを、よくよくおもひとき、こころえらるべきことに[*16]さふらふなり。これさらに、わたくしのことばにあらずといへども、経釈のゆくぢもしらず、法文の浅深をこころえわけたることもさふらはねば、さだめておかしきことにてこそさふらはめども、古親鸞のおほせごとさふらひしをもむき、百分が一《ひとつ》、かたはしばかりをも、おもひいでまいらせて、かきつけさふらふなり。
かなしきかなや、さひはひに念仏しながら、直に報土にむまれずして、辺地にやどをとらんこと。一室の行者のなかに、信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめて、これをしるす。なづけて「歎異抄」といふべし。外見あるべからず。
【校訂】

*1
「をこりさふらふか」=蓮如本「ことをこりさふらふか」
*2
「おほかりける」=蓮如本「おはしける」
*3
「鸞」=蓮如本「巒」
*4
「誓観房」= 底本、別本、蓮如本ともに「誓観房」とするが、『真宗聖典』は、元禄四年本により「勢観房」と改める。
*5
「詮」=蓮如本「せん」の右訓
*6
「鸞」=蓮如本「鸞」を「巒」となぞる(あるいは逆か?)
*7
「枯草」に「かれたるくさ」の左訓
*8
「身」=蓮如本「み」の右訓
*9
「ひとびと」=底本、別本、蓮如本ともに「ひとびと」とするが、『真宗聖典』は、恵空筆写本により「ひとびとの」と改める。
*10
「御」=蓮如本「ご」の右訓
*11
「目」=蓮如本「め」の右訓
*12
「そくばくの」=蓮如本「それほどの」
*13
「たわごと」=別本「たわぶれごと」
*14
「の」=別本、蓮如本「を」
*15
「たたかひかたんが」=蓮如本「たたんが」
*16
「さふらふなり」=蓮如本「さふらう」
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