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端坊旧蔵 永正本 蓮如本(西本願寺蔵)


端坊旧蔵 永正本
■序
■第一条
■第二条
■第三条
■第四条
■第五条
■第六条
■第七条
■第八条
■第九条
■第十条
■第十一条
■第十二条
■第十三条
■第十四条
■第十五条
■第十六条
■第十七条
■第十八条
■結語
■流罪記録
■奥書

一 煩悩具足の身をもて、すでにさとりをひらくといふこと。
この条、もてのほかのことにさふらふ。即身成仏は、真言秘教の本意、三[*1]行業の証果なり。六根清浄は、また法[*2]一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。これみな難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。来生の開覚は、他力浄土の宗旨、信心決定の[*3]道なるがゆへなり。これまた易行下根のつとめ、不簡善悪の法なり。おほよそ、今生にをいては、煩悩悪障を断ぜんこと、きはめてありがたきあひだ、真言・法[*4]を行ずる浄侶、なをもて順次生のさとりをいのる。いかにいはんや、戒行恵解ともになしといへども、弥陀の願船に乗じて、生死の苦海をわたり、報土のきしにつきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、法性の覚月すみやかにあらはれて、尽十方の無碍の光明に一味にして、一切の[*5]衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはさふらへ。この身をもてさとりをひらくとさふらふなるひとは、釈尊のごとく、種々の応化の身をも現じ、三十二相八十随形好をも具足して、説法利益さふらふにや。これをこそ、今生にさとりをひらく本とはまうしさふらへ。『和讃』にいはく、「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける」とは[*6]さふらへば、信心のさだまるときに、ひとたび摂取してすてたまはざれば、六道に輪迴すべからず。しかれば、ながく生死をばへだてさふらふぞかし。かくのごとくしるを、さとるとはいひまぎらかすべきや。[*7]あはれみさふらふをや。「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならひさふらふぞ」とこそ、故聖人のおほせにはさふらひしか。
【校訂】

*1
「密」=蓮如本「蜜」
*2
「華」=蓮如本「花」
*3
「道なるがゆへなり」=蓮如本「通故なり」
*4
「華」=蓮如本「花」
*5
「衆生を」=蓮如本「衆を」
*6
「さふらへば」=蓮如本「さふらうは」
*7
「あはれみ」=別本、蓮如本「あわれに」
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