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端坊旧蔵 永正本 蓮如本(西本願寺蔵)


蓮如本(西本願寺蔵)
■序
■第一条
■第二条
■第三条
■第四条
■第五条
■第六条
■第七条
■第八条
■第九条
■第十条
■第十一条
■第十二条
■第十三条
■第十四条
■第十五条
■第十六条
■第十七条
■第十八条
■結語
■流罪記録
■奥書

一 おのおの十余ケ國のさかひをこえて、身命をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御《おん》こゝろざし、ひとへに徃生極樂のみちをとひきかんがためなり。しかるに、念佛よりほかに徃生のみちをも存知し、[*1]また法文等をもしりたるらんと、こゝろにくゝおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都・北嶺にもゆゝしき學匠たち、おほく座せられてさふらうなれば、かのひとにもあひたてまつりて、徃生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、たゞ念佛して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて信ずるほかに、別の子細なきなり。念佛は、まことに浄土にむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。惣じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念佛して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう。そのゆへは、自餘の行もはげみて佛になるべかりける身《み》が、念佛をまふして地獄にもおちてさふらはゞこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。佛説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鸞がまふすむね、またもてむなしかるべからずさふらう歟《か》。詮《せん》ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念佛をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面ゝの御はからひなりと[云ゝ]。
【注記】

*1
右行間に「また」二字補記。
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