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端坊旧蔵 永正本 蓮如本(西本願寺蔵)


蓮如本(西本願寺蔵)
■序
■第一条
■第二条
■第三条
■第四条
■第五条
■第六条
■第七条
■第八条
■第九条
■第十条
■第十一条
■第十二条
■第十三条
■第十四条
■第十五条
■第十六条
■第十七条
■第十八条
■結語
■流罪記録
■奥書

一 信心の行者、自然にはらをもたて、あしざまなることをもおかし、同朋《どうぼう》同侶にもあひて口論をもしては、かならず廻心すべしといふこと。この条、断悪修善のここちか。一向専修のひとに[*1]おいては、廻心といふこと、ただひとたびあるべし。その廻心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の知慧をたまはりて、日ごろのこころにては徃生かなふべからずとおもひて、もとのこころをひきかへて、本願をたのみまひらするをこそ、廻心とはまふしさふらへ。一切の事《じ》に、あしたゆふ[*2]べに廻心して、徃生をとげさふらうべくば、ひとのいのちは、いづるいきいるほどをまたずしてをはることなれば、廻心もせず柔和《にうわ》・忍辱のおもひにも住せざらんさきに、いのちつきば、攝取不捨の誓願はむなしくならせおはしますべきにや。くちには願力をたのみたてまつるといひて、こころにはさこそ悪人をたすけんといふ願、不思議にましますといふとも、さすがよからんものをこそ、たすけたまはんずれとおもふほどに、願力をうたがひ、他力をたのみまひらするこころかけて、邊地の生をうけんこと、もともなげきおもひたまふべきことなり。信心さだまりなば、徃生は弥陀にはからはれまひらせてすることなれば、わがはからひなるべからず。わろからんにつけても、いよいよ願力をあをぎまひらせば、自然のことはりにて柔和・忍辱のこゝろもいでくべし。すべてよろづのことにつけて、徃生にはかしこきおもひを具せずして、たゞほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもひいだしまひらすべし。しかれば、念佛もまふされさふらう。これ自然なり。わがはからはざるを、自然とまふすなり。これすなはち、他力にてまします。しかるを、自然といふことの、別にあるやうに、われもの[*3]しりがほにいふひとのさふらうよし、うけたまはる。あさましくさふらう。
【注記】

*1
右行間に「おいては」四字補記
*2
右行間に「べ」一字補記
*3
右行間に「しり」二字補記
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