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一 専修念仏のともがらの、「わが弟子ひとの弟子」といふ相論のさふらふらんこと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたずさふらふ。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏をまうさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ。[*1]ひとへに弥陀の御もよほしにあづかて、念仏まうしさふらふひとを、わが弟子とまうすこと、きはめたる荒涼のことなり。つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、「師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなり」なんどいふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信心を、わがものがほにとりかへさんとまうすにや。かへすがへすもあるべからざることなり。自然のことはりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々 |
【校訂】 *1 「ひとへに」=蓮如本なし |
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