![]() |
|
||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
一 「念仏まうしさふらへども、踊躍歓喜のこころをろそかにさふらふこと、また、いそぎ浄土へまいりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにてさふらふやらん」と、まうしいれてさふらひしかば、「親[*1]鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことをよろこばぬにて、いよいよ往生は[*2]一定とおもひたまふ[*3]べきなり。よろこぶべきこころををさへて[*4]よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに、仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおほせられたることなれば、他力の悲願は、[*5]かくのごとし。われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また、浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか[*6]所労のこともあれば、死《し》なんずるやらんと、こころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだむまれざる[*7]安養の浄土はこひしからずさふらふこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にさふらふにこそ。なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じさふらへ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくさふらはんには、煩悩のなきやらんと、[*8]あやしくさふらひなまし」と云々 |
【校訂】 *1 「鸞」=蓮如本「巒」 *2 「一定と」=蓮如本「一定」 *3 「べきなり」=蓮如本「なり」 *4 「よろこばせざるは」=蓮如本「よろこばざるは」 *5 「かくのごとし」=底本、別本、蓮如本ともに「かくのごとし」とするが、『真宗聖典』は、元禄四年本、仮名聖教本により「かくのごときの」と改める。 *6 「所労」=蓮如本「しよらう」の右訓 *7 「安養の浄土は」=蓮如本「安養浄土は」 *8 「あやしく」=蓮如本「あしく」 |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|